追憶

中学3年時のクラス担任は、国語の先生でした。
当時のあの中学は、本来2年から3年はクラス替えをせず、担任も代わらなかったんだけど、
2年時の担任がオランダの日本人学校へ赴任することになってしまったのです。
2年の担任は人気のある先生だったから、引き継ぐのやりにくかったんじゃないかなあ。
まだあの頃は20代後半で、面白い人ではあったけど熱心すぎて、
私達はうっとおしいなーと思っていました。





隣のクラスが歌声コンクールに「カンタータ 土の歌より~祖国の土~」
(「大地讃頌」が入ってる組曲ね)を選び、
歌詞の解釈を国語の授業でお願いしたそうです。

『ああ大地 踏んでみて寝転んでみて 確かな大地』
『ああまして 祖国の土の尊さ』
『顔上げて 堂々と踏みしめて この土を踏みしめて この土を守ろうよ 祖国の土を』
(大木惇夫・作詩)

この詞の解釈をする中で、先生言ったそうです。
「今の日本人にこんな心はない!だからこれは日本の話じゃない!」
・・・おいおい(^^;
こういう詞も入ってるんですけど~。
『山河よ さくらの菊の花咲く丘よ』って、これどう見ても日本じゃーん!
と、私達はケラケラ笑ったものです。

それから、こんなこともありました。
受験校決定のための、先生達による査定会ってのがあったんですね。
第5希望くらいまで志望校書いて提出するんだけど、私の出した学校はこんな感じ。

1.県立A高校→偏差値的にはちょっと高望み。吹奏楽部は県内で中の中。
2.県立B高校→偏差値的にはちょうど。吹奏楽部は県内で中の上。
          通学時間が県立としては遠い1時間強、今までウチの中学からいった人なし。
3.県立C高校→偏差値的にはかなーり下。吹奏楽部は・・・。
4.市立D高校→偏差値はかなーり下。吹奏楽部は県内トップレベル。
          でも隣の市なので当時ウチの市からはよほどでなきゃ行けなかった。
5.某私立音大付属校→ギャグ。

で、査定会後の二者面談。先生言いました。
「やっぱりなあ、A高校に関してはC判定(ダメってこと)だったんだわー」
まあそんな気はしてましたけどねえ。。
(先生めちゃめちゃはりきって)「で、C高校なら大丈夫ってことになったんだよ」
???なんか抜けてません?
「先生~、B高校は?」「あ?B高校・・・は、大丈夫、だなあ」
「・・・じゃ、B高校にします!」
遠いからってさー、眼中にないってどうよ先生(^^;;

元々まとまりのないクラスだった上に、暑苦しい先生をうっとおしがっていた私達は、
卒業の1年後にただ一回だけやったクラス会にも先生を招待することなく、
卒業から20年以上、一度も会ったことがありません。
たまーに何かの拍子に思い出すことはあったけど、あとは記憶の奥にいるくらい。
これからもそんな感じになるはずでした。

先週の火曜日、6月24日。
朝から繰り返し流れるテレビのニュースの中で、先生が亡くなったことを知りました。
先生のお母さん、奥さん、小さなお嬢さんも一緒に。
いちばん安心していたであろう、家庭の中で。

同じ日の夜、姪が生まれました。

これから先の長い年月、姪の誕生日がくるたびに思い出すことになるであろうことは、
とても残念に思います。
でも。
思い出すことが、忘れないことが、
少なくとも授業で2年・担任として1年お世話になった私達の供養なんだと思う。
私は、忘れません。
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by katze-moco | 2008-07-01 20:54 | 私のこと | Comments(0)